「いざ生きめやも」の意味は?矛盾と批判を超えた美しさ!

風立ちぬ、いざ生きめやも

「ねえねえ、“生きめやも”ってどういう意味?」

突然、妻に聞かれました(^^;;

「生きめやも」というのは、スタジオジブリの映画『風立ちぬ』で使われて有名になった言葉ですね♪

「風立ちぬ、いざ生きめやも」

昔の日本語(文語調)で、なんだか奇妙な響きですが、その意味を調べてみたところ、興味深い発見がいっぱいあったのです。

言葉の意味とあわせて、日本語の奥深い世界へご案内します!!(^^)

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「生きめやも」は「生きない」こと?!

まず、「いざ生きめやも」の意味ですが、直訳すると

「さあ生きようか! いや、生きないよなぁ」

となります。

「は? 余計に意味わからへん!!」

「生きるんか死ぬんか、どっちやねん!?!?」

という感じなのですが、文法的に解釈すると、こうなってしまうんです……(^^;;

 

「いざ生きめやも」を文法的に解釈!

「いざ生きめやも」について、Wikipediaでは……

「いざ生きめやも」の「め・やも」は、未来推量・意志の助動詞の「む」の已然形「め」と、反語の「やも」を繋げた「生きようか、いやそんなことはない」の意であるが、「いざ」は、「さあ」という意の強い語感で「め」に係り、「生きようじゃないか」という意が同時に含まれている。

Wikipedia「風立ちぬ(小説)」の項目から引用

となっています。

でも、これだとよくわかりませんよね(^^;; もう少しわかりやすく解説すると……

  • 「いざ」というのは、「いざ出陣じゃ!」という風に、「さあ、〜〜しよう!」という意味。
  • そこに「生きる」(正確には、文語の「生く」)がくっ付いているので、「さあ生きよう!」となる。

 

で。ここで問題となるのが「めやも」。「なんやそれ? ヤモリの仲間かいな?」って感じですが、コトバンクによると……

( 連語 )

〔推量の助動詞「む」の已然形「め」に係助詞「や」,係助詞「も」の付いたもの。「や」は反語,「も」は詠嘆の意を表す〕

推量または意志を反語的に言い表し,それに詠嘆の意が加わったもの。…だろうか,いや,そんなことはないなあ。

コトバンク「めやも」の項目から引用

もう少し丁寧に整理して……

  • 「め」=「〜〜だろう」「〜〜しよう」(推量や意志を表す「む」の已然形)
  • 「や」=「〜だろうか? いや、そんなことはない」(已然形につくことで反語を表す)
  • 「も」=「だなぁ」(詠嘆を表す)

ということになります。

ですので、まとめて「いざ生きめやも」を現代語に訳すと

「さあ生きようか! いや、生きないよなぁ」

となるのです。

日本語の奥深さ

「めやも」から見る日本語の奥深さ

でも、この「め」「や」「も」……。それぞれ、たった一文字で これだけの意味を表すなんて、昔の日本語(文語)って面白いですよね! しかも、組み合わせ方によっても意味が変化するので、日本語の奥深さを感じずにはいられません。

ただ、「さあ生きよう!いや、生きないよなぁ」というのは、ぶっちゃけ意味不明です(^^;

「いざ」という言葉が入って強い意味に見えつつも、「めやも」の「〜〜だろうか? いや、そうではないなぁ」で終わるので、もはや精神分裂です……。

ですので、この「いざ生きめやも」という言葉には、批判的な意見も起こっているんです。

 

「いざ生きめやも」への批判

この「いざ生きめやも」は、堀辰雄氏の小説『風立ちぬ』に登場する言葉です。ジブリの『風立ちぬ』も、この小説を元に作られたと言われますね。

*ちなみに、「風立ちぬ」は、「風が立たない」という意味ではなく、「風が起こった」という意味です。「ぬ」というのは、物事が完了したことを表す助動詞なので。

そして、この小説の冒頭に、

Le vent se lève, il faut tenter de vivre.

という一節が書かれているのです。

これは、フランスの作家ポール・ヴァレリー氏の詩なのですが、これを日本語に訳すと、「風が起こった、生きることを試みねばならない」となります。

多くの見解では、「風立ちぬ、いざ生きめやも」という言葉は、このヴァレリー氏の詩を、堀辰雄氏が日本語に翻訳したものとされています。

Wikipediaでも、

作中にある「風立ちぬ、いざ生きめやも」という有名な詩句は、作品冒頭に掲げられているポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」を堀が訳したものである

Wikipedia「風立ちぬ(小説)」の項目から引用

とあります。

ですが、ここで改めて、この二つを現代日本語の意味で比較すると……

  • ヴァレリー → 「生きることを試みねばならない」
  • 堀辰雄 → 「さあ生きようか! いや、生きないよなぁ」

となり、意味が完全に食い違ってしまうのです。

ですので、

「元々のヴァレリーの詩と、全然 意味が違うやないか!!」

「堀辰雄の“いざ生きめやも”は誤訳だ!!」

という批判が、専門家からも一般の方からもなされているのです。

 

ですが、果たしてそうなのでしょうか? 「いざ生きめやも」は本当に誤訳なのでしょうか? そもそも、フランス語の詩を翻訳したものなのでしょうか?

その答えは、小説『風立ちぬ』そのものの中にありました。

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小説『風立ちぬ』を読んでみた

あ。念のためお伝えしておきますと、僕は国語や文学の専門家ではなく、全くの素人です。

ですが、その素人の視点だからこそ、堀辰雄氏の『風立ちぬ』を読んだところ、「いざ生きめやも」(=さあ生きよう!いや、生きないなぁ)が的確だと感じたんです。

*画像をクリックするとKindle版の販売ページへ移動します。「0円」でした〜〜

 

フランス語の訳ではないよね?

先ほどお伝えしたのように、多くの見解では、「いざ生きめやも」はヴァレリーの詩を訳したものとされています。

ですが、それは間違いなのではないでしょうか? なぜなら、素直に小説を読めば、「いざ生きめやも」は「登場人物のセリフ」だからです。

つまり、ヴァレリー氏の詩の翻訳というよりも、小説の主人公から自然に出た言葉……すなわち、フィクションの物語で生み出された言葉ということなんです。

「堀辰雄の訳は間違っている」というのは、「いざ生きめやも」がヴァレリーの詩の翻訳という前提があるわけで、その前提が違うということですね。

そして、小説の文脈から読む限り「さあ生きようか!いや、生きないよなぁ」という意味が、すごく効果的に伝わって来るのです。

さあ生きようか!

小説の文脈から読み解く

では、実際に「いざ生きめやも」が登場する部分を引用して、読み解いていきましょう!

そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だった)私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木陰に寝そべって果物を齧(か)じっていた。砂のような雲が空をさらさらと流れていた。そのとき不意に、何処からともなく風が立った。私達の頭の上では、木の葉の間からちらっと覗いている藍色(あいいろ)が伸びたり縮んだりした。それと殆んど同時に、草むらの中に何かがばったりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。すぐ立ち上って行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。

  風立ちぬ、いざ生きめやも。

ふと口を衝いて出て来たそんな詩句を、私は私に靠(もた)れているお前の肩に手をかけながら、口の裡(うち)で繰り返していた。

堀辰雄 著『風立ちぬ(Kindle版)』(検索元 amazon.com) 「序曲」の章より引用

これを読めばわかるように、「いざ生きめやも」は、物語の主人公である「私」から「ふと口を衝いて出て来た」詩句なのです。

何かを訳したということは一切書かれておらず、あくまで架空のストーリーの登場人物が言ったセリフに過ぎません。

 

「生きる」と「生きない」が並立する理由

そして、僕の印象に残ったのは「風が吹いた後、絵と画架がバタリと倒れた」ことでした。ここから、「いや、生きないよなぁ」というネガティブな意味が起こって来るのです。

『風立ちぬ』という小説は、主人公である「私」と不治の病である結核を患った恋人(先ほどの引用部分では「お前」)との物語です。そして、この恋人は日々 絵を描いていました。つまり「絵」は、恋人が生きていることの象徴だったのです。

ですから、「風が吹いて、絵と画架がバッタリと倒れる」ことから、主人公は恋人の死を連想してしまいました。それは、「いまの一瞬の何物をも失うまい」という一節にも現れていますね。

普通、「風が起こる」という描写は、何かが始まる予兆であったり、力強く立ち上がるイメージを想起させます。実際、先ほどの引用箇所でも、頭上の木の葉が揺れて空の色が見えるというポジティブな描写があります。

ですが、ここでは、「絵と画架(=恋人の命の象徴)が倒れてしまう」というネガティブな現象も起こってしまいました。

つまり、風が起こったことによって、

  • 「力強く生きよう!」というポジティブな想い
  • 「恋人が死ぬかもしれない」というネガティブな想い

この二つが同時に主人公の胸に湧き起こった、ということなんです。

となると、「いざ生きめやも」という表現は、主人公の気持ちを的確に表していると言えます。「さあ生きよう!」というポジティブな想いと、「いや、死ぬしれない」というネガティブな想いを、同時に表現することができますから。

 

相反する気持ちが凝縮された言葉

そして、何より秀逸なのは、この矛盾とも言える心理状態を、たった7文字の中に凝縮している、ということ。

「風が立った。さあ生きよう! いや、そういうわけにはいかないのかもしれないな……

という風に、

  • 今、恋人と一緒に生きていることの喜びや幸せ
  • と同時に、恋人の命が失われることへの不安や恐怖

を、「いざ生きめやも」という短い言葉で表現しているわけです。

つまり、「いざ生きめやも」は、「生きる喜び」と「生きることを失う不安」の両方を含んだ意味なのです。

 

……と、僕はこんな風に感じたのですが、あなたはいかがでしょうか?

最後は読み手次第

最後に(楽しみましょう!)

あ。すみません……小説を読んでいるうちに熱くなって、思いつくままに書いてしまいました(^^; 先ほどお伝えしたとおり、僕はあくまで素人なので、読み方や解釈の一つとして捉えていただければうれしいです。(誤訳がどうのという議論は、専門家の皆様にお任せしますし、何かお気づきの点があればコメントください(*^^*))

というか、小説『風立ちぬ』は、架空の物語です。堀辰雄氏の実体験を元に書かれたと言われますが、あくまでフィクションなのです。

ですから、「いざ生きめやも」がどういう意味かよりも、読み手がどれだけ楽しめるかが大切なのではないでしょうか。

もちろん、今までお伝えしたように、言葉の意味や文法から解釈すると、「さあ生きようか!いや、生きないよなぁ」という意味となります。

ただ、これをどんな風に受け止めるかは、小説の読み手次第なのです。

ですので、最終的には、あなたなりの感じ方で、この言葉を味わってくださいね(^-^)

 

 

風立ちぬ、いざ生きめやも

 

 

 

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